Because I have not traveled in India, I do not have photographs of Indian power transmission lines.
Therefore I put the photographs which had me provide it from my friend on this page.
In addition, I explain that the 800kV power transmission line built for the first time in India was built by technical consulting of Japan.
2.インド初の800kV(公称電圧765kV)送電線の建設
冒頭に記載したとおり、インド初の80万ボルト(800kV)送電線は我が国の優れた技術コンサルティングにより建設された のだ、という誇らしいニュースを以下の通り紹介する。
インドでは、2000年初めまでは欧州と同様の400kV系統で電力系統を運用してきた。
しかし、電力供給量の約70%を占める石炭火力発電所の所在地が電力需要地のデリー、ムンバイ等の大都市から遠く、上述の通り800km~1200kmの長距離を送電しなければならないため、需要の増加に伴い送電電力の増加および電力系統安定度向上の観点から最高電圧の上昇が喫緊の課題であった。
そのような中、インド北部のUPSEB(ウッタル・プラデシュ州電力庁)では、インド政府と我が国OECF(海外経済協力基金)との間で締結された円借款により、アンパラ火力発電所関連事業の800kV送電線および関連変電所建設プロジェクトを行うことに決定した。
この800kV送電線は右図のように、アンパラ(Anpara)石炭火力発電所を起点とし、州都ラクノウ(Lucknow)の南の町ウンナオ(Unnao)に新設するウンナオ変電所を終点とする800kV(公称電圧765kV)こう長約430km、鉄塔約1,000基と想定する長さの送電線である。
この建設プロジェクトを推進するに当たり、UPSEBから1989年に「800kV送電系統解析、最適化設計並びに資機材および工事会社選定等に関するコンサルタント業務」が発注された。
これに対し、梶山氏が勤務する、我が国では超超高圧UHV送電線設計に関する技術力が最も高い設計コンサルタント会社である「T設計株式会社」(以下T社という)が早速受注に向けて活動を開始した。
なお、受注に当たりT社はインド現地の会社、TATAコンサルティングエンジニア(TCE)と提携した。
T社では、UHV送電線設計に携わった経験のある大ベテランの柏村良一氏をプロジェクトマネージャーに指名し梶山氏を含む数人のプロジェクトチームを編成して1989年8月に活動を開始した。
この受注については、我が国から他に2社、及びブラジルとインドからも応札会社があったが、T社の受注活動努力が実を結び、T社と提携会社TCEのチームが選ばれ受注に成功した。
コンサルティング業務は、東京電力の協力を得て、EMTP(Electro-Magnetic Transient Program:過渡現象解析プログラム)による系統解析および送電線ルートの測量と地質調査結果に基づく鉄塔、がいし、電線、地線等の電気的・機械的設計(最適設計)の実施、並びに2工区体制で行う工事会社と資材調達の入札手続・評価、業者選定、工事管理を行い最後に運開試験立会を行うことを確認し、詳細交渉した。
交渉の結果、正式契約は1993年9月に調印が行われ、コンサルティング業務期間は工事期間21ヶ月(1995年5月~1997年1月)を含み40ヶ月とし、運転開始を1997年1月とした。
早速業務開始となり、T社のプロジェクトチームは系統解析および送電線ルートの測量を皮切りに設計業務にとりかかった。
検討の結果、送電線設備の概要は次のようになった。
●測量結果で、送電線こう長は405kmとなった。
●鉄塔は、1回線水平配列のえぼし型とし、最適径間長は450mに決定した。
電線水平間隔は15m、線下権利幅(Right of Way)75mとした。
懸垂鉄塔及び軽角度鉄塔(水平角度30度以下)の概要図は右図の通りである。
右写真は懸垂鉄塔で、電線延線工事中の写真である。
懸垂鉄塔の奥にドラム場があり左相は電線延線中である。
中相および右相はメッセンジャワイヤが延線されていて、順次電線が1線4条引きで延線される。
角度鉄塔は偏心アームを採用しコストダウンに努めた。
基礎については、ルートの大半がガンジス河に近くの平地を経過するが、雨期にはその区間の50%近くの鉄塔が冠水する可能性が高いのでその対策を考えた設計とした。
撚架鉄塔は、ルートの1/3、2/3および終点近傍に設けた。
その構造は右写真の通り。
撚架鉄塔のクローズアップ写真である。
特に、ガンジス(Ganga)河(幅約1,200m)およびソン(Son)河(幅約900m)横断箇所は、長径間設計となるが河川敷地内に1基建設し径間長を800m以下に抑えて特殊設計を回避した。
右写真はガンジス河横断の写真で、河川敷内に鉄塔を建設したものを撮っている。
●電線は、数種について経済比較を行った結果、ACSR520m㎡を採用し、4導体方式とした。
●がいしは、強度面および信頼度面から日本製の300kNがいしを推奨したが、インドにとっては非常に高価であったので結論がなかなか出なかった。
しかし、インド国産がいしは160kN止まりであり、最終的に日本製300kNがいしを使用することになり、耐張がいし装置は2連装置とし、懸垂装置はV吊り装置とした。
がいし連結個数は31個連結とし、電線側にはアーキングホーンを設置した。
写真は、延緊線作業中のもので、中相は緊線中であり、手前の相は電線延線中でがいし装置がまだアームから吊された状態になっている。
また、工事業者(鉄塔実規模荷重試験を含む鉄塔資材調達を含む)の入札選定では2工区とも地元業者に決定し、電線及び付属品も地元業者に決定した。
以下、架線工事中に撮影した6枚の写真を掲載する。
右写真は延線工事の写真である。
5輪金車を使用し、メッセンジャワイヤ1条で1相分の4条の電線を同時に延線する工法で、いわゆる1線4条引き方式を採用している。
左相は4条の電線を延線中であり、中相はメッセンジャワイヤの延線が完了したところである。
延線車は、右写真のように電線4条を同時延線する機構のものを使用している。
写真には写っていないが左側に電線ドラムが設置されて、電線は左から右方向に延線されていく。
電線の延線が完了し、緊線作業中で圧縮型引留クランプを電線にセット・圧縮作業している写真である。
延線された4条の電線を圧縮型引留クランプにセットする緊線作業中(上写真)に於ける、カムアロングで電線を引き留めている部分の写真である。
我が国で使用されている楔型と異なり、テコの応用で電線を把持する方式のカムアロングである。
圧縮型引留クランプの、圧縮作業前の写真である。
我が国で一般に使用されているクランプとは若干異なり、ジャンパ線のソケットは外側圧縮部分・アルミスリーブの中間から出ている。
(我が国のクランプはジャンパソケットを引留金具側の端、右の写真で言うと外側圧縮部分・アルミスリーブの右端、に設けている)
圧縮型引留クランプの、圧縮作業の写真である。
手前側、芯線圧縮および引留金具部分の外側圧縮を終了させ、次にアルミ線圧縮部分の圧縮作業に移った状態の写真である。
以上の諸コンサルティング業務を精力的に進めたが、工事着工は1996年2月となり、工事施工期間は4年5ヶ月かかり工事竣工は2000年7月に遅延し、当初予定より3年半遅れた。
その結果、コンサルティング業務期間は82ヶ月間に延長された。
この間T社のプロジェクトチームは、期間2週間から1ヶ月単位で州都ラクノウに頻繁に出張し、UPSEB本社との交渉、設計会議、現場調査などに望んだ。
最終的に運開試験立会を2000年7月に実施し規定の性能を満足して検査合格となり、送電線は目出度く完成して400kV運転に入った。
その後、400kV運転をしていたがアンパラ火力発電所の3号機増設運転開始に合わせ、2011年10月~2012年2月の間に昇圧して設計通りの800kV運転に入っている。
以上、我が国の世界最高水準の高度な技術力を遺憾なく発揮したT社の コンサルティング業務によりインド初の800kV送電線を無事完成させることができた。
最初に、T社がこの案件でインドを訪問してから設備完成まで11年の歳月を要したことになる。
参考までに2012年の予想主要送電系統図を示すと右図の通りである。
右図は冒頭に掲げた2007年現在の系統概略図に、その後2012年までに建設・増強する計画の765kV送電線と±500kV直流送電線およびDC(直流)変換所すなわち直流連系設備HVDC(Back To Back)を追記したものである。
2007年以降に建設計画された765kV送電線のこう長は、アンパラ・ウンナオ線昇圧を含めて3,600km以上あり、また±500kV直流送電線は北部系統~東部系統間約960kmの線路が1ルート、および北部系統~北東部系統間約1,600kmの線路が1ルート、更に500MWの直流変換所(直流連系設備)1箇所が増強計画されている。
これらの計画が全て完成しているか否か詳細は未確認であるが、大部分は完成していると思われ基幹系統設備は着々と整備されているようだ。
さて、堅い話は以上にしてT社のプロジェクトチーム要員から聞いたエピソードを2~3紹介しよう。
突然の停電
州都ラクノウでのUPSEBとの契約交渉では、交渉の促進を図るため、毎日の会議議事録をその日の夜間に清書し、翌日の朝には UPSEBに提出しお互いの認識に齟齬のないよう務めた。
事務所はホテルの最上階スイートルームを借り切り、パソコンを持ち込んで昼間は40度を超える酷暑の中夜遅くまで、時には徹夜して議事録を作成したが、突然の停電がしょっちゅうあってパソコン入力作業が思うに任せず、また冷房が止まって汗びっしょりになり大変困った。
日本では到底考えられない過酷な環境であった。
右写真の奥のビルが事務所として使用したホテルである。
牛の行列
ラクノウでは、ホテルの近くやUPSEB本社への往復の道で朝8時頃と午後3時頃には必ず牛の行列に出くわす。それは郊外の牛舎から朝8時頃ガンジス河の支流であるゴマティ(Gomati)河に行き3時頃までそこで水浴びをしたり昼寝をして過ごすのである。こんな場合、道路上での牛と車と人の共存が生ずる。車が牛を避け、牛は自分のペースで車の道を空ける。(上の写真参照)
人は牛の通り過ぎるのを待って横断する。こんな時はイライラせず渋滞でもじっと我慢する。ヒンドゥ教の教えにより牛は聖なるものとして扱われており、ラクノウはヒンドゥ教の盛んなところであるので牛が沢山見られた。
インド人気質
インド人はすべからく自分の主張は相手が誰であろうとトコトン主張する。それも果てしなく、時には激しく言い続ける。議論はこのままでは何処までも発散し続け、いつ結論が得られるのか、喧嘩別れになってしまうのではないかとウンザリしていると、突然議論が止む。どちらの主張が通ったのか、と思うとそうでもなく、言い放しでうやむやの中で、この件は過ぎていく。結局、会議の結論は必ず議事録で確認されなければならない。彼らは、議論が白熱してくると早口のヒンディ語と英語のチャンポンで喋り始めるのでチンプンカンプンになることが時々あった。
これに対して、当方は具体的な根拠、理論的説明を繰り返し反論、説得に努め大変疲れたが、先方技術者の技術的知識と理解力は高く、議論し甲斐のある人たちであると感じて嬉しくもあった。
ヒンドゥ廟
ラクノウでは、事務所にしているホテルの裏側でゴマティ河に面したヒンドゥ廟に、出張の都度よくお参りに行った。敷地は100坪程度、廟自身は2坪くらいで、10数坪の石造りの建物の中に収められている。廟は普段は閉ざされているが、時々扉が開いて黒光りしたシバー神がまつられているのが見える。参詣人は廟の回りを素足でグルグル廻り、最後に神に向かって進み、花などを捧げ額づいて合掌し、お賽銭を上げる。
信心が強いわけではないが、仏様もヒンドゥ教の神様も困った時の御利益は変わりないと思って柏村氏と梶山氏二人はお祈りをするようになった。廟には小柄な初老の廟守がいて、二人のお賽銭が多いせいか、額に付けてくれる赤いティカの量が多い。特に梶山氏は沢山寄進するので更に多い。また、二人とも靴を脱いで素足にならなくても良いと言われるまでになり、地元に大分融け込んだ気分で過ごせるようになった。
右写真に写っているのが、情報提供者の梶山氏である。
下の写真がシバー神である。
青空床屋
街中では店舗を持たない青空床屋が道路のあちこちに出ている。写真はちょうど子どもが頭を刈ってもらっているところである。
手前の人は、待っているお客のようで、のどかな風景である。