さて、46KV塔之沢線の鉄塔形状は図及び写真に示す通りである。
(写真の懸垂がいしは、後年取り付けたものである。)
当時は1回線を構成する3相の電線配置を正三角形として、各相の交流抵抗をバランスさせるように配慮した設計を採っていた。
これは、カナダのトロント&ナイヤガラ電力が1905年に建設した世界初の全線鉄塔線路である60KVナイヤガラ・トロント線を参考に設計したと思われ、同時期に建設された66KV主要幹線である鬼怒川線、酒匂川線、谷村線及び八百津線などは全て同じ設計思想に基づいた電線配置になっている。
箱根水力電気会社は塔之沢線について、当初は全線木柱で建設する計画であったが、明治37~38年(1904~1905年)に渡米した同社岸敬二郎顧問技師(芝浦製作所、電気部主任)がアメリカで鉄塔が盛んに使用されているのを視察し、同社寒川恒貞電気技師長(注)に鉄塔の研究を勧め、鉄塔の導入検討が開始された。
最近のトピックス
最近のトピックス(No.1~15)を下記に掲載する。
No | 掲載日 | 内容 |
15 | 2009.01.01 | 送電鉄塔国産化100周年 |
14 | 2008.10.27 | 電気学会、第1回電気技術技術顕彰10件名を発表 |
13 | 2008.10.14 | 日本鉄塔協会、鉄塔技術の歴史を語る講演会を開催 |
12 | 2008.08.10 | UHV国際標準化制定作業大詰め |
11 | 2008.06.16 | 日本鉄塔協会・40周年記念 |
10 | 2008.04.02 | 駒沢線鉄塔・世田谷区・地域風景資産登録 |
9 | 2008.02.24 | 大雪害・続報(その4) |
8 | 2008.02.11 | 大雪害・続報(その3) |
7 | 2008.02.07 | 大雪害・続報(その2) |
6 | 2008.02.04 | 大雪害・続報(その1) |
5 | 2008.01.30 | 中国・中・南部で大雪害発生 |
4 | 2008.01.21 | 送研・関東支部50周年記念 |
3 | 2008.01.18 | 森田健作氏「電力マンへの思い」記事 |
2 | 2007.12.15 | DCUHV+/-800KV建設開始 |
1 | 2007.12.11 | 鬼怒川線鉄塔など近代化産業遺産登録、他 |
No.15 送電鉄塔国産化100周年
我々の生活に欠かせない重要なライフラインである架空送電線に用いられている送電鉄塔が、今年、平成21年(2009年)には、本格的に送電線に使用されて100年、かつ、国産化100周年を迎える。
そこで、我が国で初めて国産の送電鉄塔が導入された今から100年前(明治42年)の送電線建設状況について述べると以下の通りである。
1.電気事業と送電線
電気事業が我が国で開始された明治20年(1887年)当初は、その電力規模は小さく、火力発電所を電力需要地の近傍に建設し、周囲の需要家には直接配電線で供給していた。
したがって電力事業草創期には送電線は不要であったが、12年後の明治32年(1899年)には、地理的に水力資源が都市の近くにある福島県郡山市、広島市で、我が国初めての11KV木柱送電線(こう長それぞれ24km、26km)が建設された。
その後、電気事業が開始されて20年後、電力規模が次第に拡大し、高電圧送電線の建設が技術的に可能になった明治40年(1907年)に至り、大都市圏で初めての長距離送電線である55KV駒橋線(駒橋発電所~早稲田変電所間75.6Km)が東京電灯により建設された。
この駒橋線は、支持物に木柱を使用したがその一部の河川横断等の長径間箇所には、初めて鉄塔(22基)を使用した。しかし、この鉄塔はアメリカからの輸入品であった。
2.送電鉄塔国産化
次第に大容量水力発電所の開発・建設が各所で進められた。
箱根水力電気会社では塔之沢発電所を明治42年(1909年)5月に完成させ、同時に、その電力を京浜地区に送電するため46KV塔之沢線(塔之沢発電所~保土ヶ谷変電所間58Km)を建設することとし、明治40年7月に着工し明治42年4月に竣工させた。
この塔之沢線が我が国で初めて本格的に鉄塔を用いた送電線で、かつ、製作は石川島造船所(現IHIの前身)製の初の国産鉄塔使用送電線となった。
鉄塔はこう長58Kmのうち16Km、166基に採用された。
塔之沢線に鉄塔を適用した経緯は、次項にその詳細を述べるが、同社で電気技術業務を総括した寒川恒貞氏の熱心な調査・研究および技術開発成果の賜であると同時に、鉄塔、電線およびがいし等の使用資材の国産化にも極めて前向きな取り組みを行ない可能な限り国産化に踏み切ったことが、我が国の送電関連産業振興に大きく貢献すると共に、本送電線に続く66KV主要幹線の建設に好影響を与えたと言えよう。
この工事に関して、「明治工業史、電気編、送電線路」の項に、重要記事として下記の通り記載されている。
「本邦に於いて、始めて送電線路の相當距離に亘り鉄塔を使用せしは、明治42年竣工せし箱根水力電気会社が、塔の沢より程ヶ谷間に至る迄の電線路なりとす。その要領以下の如し(要領掲載略)。本工事はその後本邦に於ける鉄塔設計に多くの参考資料を供したり。」
次に「碍子碍管類」の項に、
「芝浦製作所は、陶器製造を以て名を得し我が国が、送電碍子を外国に仰ぐは遺憾至極なりとし種々研究をなし、次いで名古屋の日本陶器と提携して、明治40年の頃実用に供し得べきものを製造するに至り、先ず明治42年開業せる箱根水力電気会社の四万六千ボルトの送電線に供給し、後桂川電力、宇治川電気、九州水力等の六万ボルトの送電線路に供したり。」
と、国産化の努力を称えている。
また、「東京石川島造船所五十年史」によると、
「明治42年に箱根水力電気会社の注文で塔之沢から保土ヶ谷に至る36哩(マイル)の電線路用に亜鉛鍍金鉄塔を製作したが、これが日本に於ける鍍金鉄塔の最初であった。また、鉄塔製作に先鞭を付けたわが社には多くの注文が来た。」
と記載されており、大正元年~3年にかけて、その頃の66KV主要幹線である鬼怒川線、酒匂川線、谷村線、及び岩室線他の鉄塔を4,700基製作したとの記録がある。
3.塔之沢線鉄塔
注寒川恒貞氏(1875.6.26~1945.1.30)の電力関連略歴
明治35年京都帝国大学理工科大学電気工学科卒業
川越電気鉄道株式会社に就職後、箱根水力電気会社に転職し、32才の若さで電気技術関係業務の総括を任されることとなった。
塔之沢線竣工後、箱根水力電気会社から徳島水力に移り水力開発に活躍し、また名古屋電灯顧問として木曽川水系の開発調査にも従事。その後、四国水力電気株式会社社長として大正13年から昭和3年まで活躍。
さらに電気製鋼事業、電極事業、アルミニウム精錬事業等を興し事業家として大成した。
昭和14年(1939年)には、逓信大臣より電気功労者として表彰された。
寒川技師長は、アメリカで行われている鉄塔設計技術を研究し、現在でも世界的に鉄塔設計者が用いている「クレモナノの図式解析」手法を先見の明をもって活用し鉄塔設計を行った。
同氏は、アメリカの鉄塔形状を、そのまま見よう見まねで適用はせず、未経験の領域に果敢に挑戦し、自分なりの考えで経済的な形状を追求して上記鉄塔図の形状の鉄塔を考案・開発した。
この特徴ある鉄塔形状については、アメリカでも注目を集めたようで、当時の「Standard Handbook for Electrical Engineers」(電気工学ハンドブックのアメリカ版)に「Samukawa Formula」として紹介掲載されたとのことである。
その設計結果をもって、我が国でも鉄塔が経済的に有利であることを立証し、鉄塔導入に踏み切った。
ただ、鉄塔発注時期に経済変動で鉄塔価格が高騰した等の理由で部分的に導入することにし、後日、木柱建替時に鉄塔化することとした。
その鉄塔建設区間は、山間地、あるいは木柱では風景を害する恐れのある所、すなわち、塔ノ沢発電所~小田原付近、東海道線国府津駅付近~二宮、保土ヶ谷付近の山間部などで、166基使用された。
ところで、線路建設の経験を踏まえた木柱と鉄塔の経済比較につき、寒川技師長の電気学会総会(明治42年6月29日)での講演記録が、電気学会雑誌に掲載されているが、要約すれば以下の通りで今後は鉄塔が断然有利であると結論づけている。
「(1)用地費:木柱では1回線装柱2ルートとなりかつ標準径間が短く支線も多いので木柱の用地費は鉄塔の2~3倍になる。(2)運搬費:木柱は分割できないが、鉄塔は部材毎に分割でき60Kg以上のものがないので、運搬が安価で容易である。(3)総工事費:たまたま鉄塔材の調達時に物価が高騰し、約25%鉄塔の方が高かったが、長期的観点から、木柱は今後次第に高価になる傾向であり、その寿命が短い(7~8年で腐食する)ことを考えると、今後は鉄塔が有利である。」
以後、送電線の支持物には鉄塔が主として使用されることとなった。
ただ、塔之沢線鉄塔は形状がやや複雑で製作に手間がかかるためか、塔体に四角鉄塔を適用した鬼怒川線を除き、その後の66KV幹線送電線である酒匂川線、谷村線及び八百津線などについては、形状が単純な矩形鉄塔が専ら使用され、塔之沢線鉄塔と同一形状のものは使われなかった。
しかし、我が国で初の国産鉄塔に挑んだ寒川技師長が独自に設計・開発した鉄塔は、我が国における国産・送電鉄塔史の第一ページを輝かしく飾るべき位置付けにある。
以上の通り、国産鉄塔が建設されてから100年、現在では全国に約24万基の鉄塔が運用されている。
歴史的にこの頂点に立つ塔之沢線鉄塔は、幸い東京電力の「電気の史料館」(休館中)に1基が、鬼怒川線鉄塔と共に保存・展示されている。
そして先般、この展示鉄塔が平成19年11月30日付けで、経済産業省の「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」の一つに目出度く認定された。
(「最近のトピックス」最初の記事参照)
本ホームページをご覧の皆様には、ぜひ、歴史に残る塔之沢線鉄塔を見学されることをお勧めします。
なお、当HP、「歴史に残る送電線」の項の、「塔之沢線」解説も合わせてご覧下さい。
No.14 電気学会、第1回電気技術技術顕彰10件名(500KV系送電の実運用を含む)を発表
電気学会は、このほど10月17日、学会の創立120周年記念事業(創立120周年記念シンポジウム、第1回電気技術顕彰式)を東京国際フォーラム(東京都千代田区)において開催した。
電気学会は、かねてから電気技術史技術委員会を設置して、電気技術史の調査研究や、隠れた功績や善行などについて顕彰する制度についての検討を行ってきたが、このたび学会創立120周年記念事業の一環として、電気技術の顕彰制度の運用を開始することとし、上記記念事業で第1回電気技術顕彰式を行い、10件名の顕彰を行った。
すなわち、この制度は、20世紀に大きな進歩を見た「社会生活に大きな貢献を果たした電気技術」を振り返り、その中でも特に価値あるものを顕彰することで、その功績をたたえるものであり、その価値を広く世の中に周知して、今後の電気技術の発展に寄与させることを目的とする、とのことである。
具体的には、技術革新や社会変革をもたらした電気技術や教育的価値がある「モノ」、「人」、「場所」、「事柄」を選んだ、とのことである。
このたび発表された受賞リストは下記の通りである。
- 秋葉原(秋葉原駅周辺の電気街)<場所>
- インバータエアコン<モノ>
- ガス絶縁開閉装置<モノ>
- 電力系統安定化技術<事柄>
- 交流電化発祥の地(作並駅および仙山線仙台~作並間)<場所>
- 志田林三郎と多久市先覚者史料館<人、場所>
- 日本語ワードプロセッサ<モノ>
- 藤岡市助と岩国学校教育資料館<人、場所>
- 座席予約システム:マルス1/みどりの窓口の先がけ<モノ>
- 500KV系送電の実運用<事柄、モノ>
以上のうち、当サイトでは、最後に掲げた「500KV系送電の実運用」について、説明する。
急増する我が国の電力需要に対応するため、送電線の大容量化の必要性が高まり、275KVの次期電圧として500KV送電が昭和48年(1973年)日本で初めて採用されたが、この500KV送電に関する技術的価値は極めて高いものであると評価され顕彰されたものである。
その開発経緯の概略は次の通りである。
- 昭和33年(1958年)
電気協同研究会に「40万ボルト級送電専門委員会」が設置され、我が国の次期電圧の検討・研究が開始された。 - 昭和33年(1958年)
超高圧電力研究所設立(横須賀市武山)~昭和41年(1966年)500KV試験設備完成、諸試験実施 - 昭和36年(1961年)
電力中央研究所・塩原試験場に600KV試験設備完成、諸試験実施 - 昭和40年(1965年)
中央電力協議会にて次期電圧を500KVと承認 - 昭和41年(1966年)
東京電力で500KV設計房総線が建設され竣工、当面275KV運転 - 昭和45年(1970年)
電気学会・電圧標準特別委員会の審議を経てJECで500KVを標準電圧として制定 - 昭和48年(1973年)
東京電力の房総線が500KV昇圧運転を開始
以上の通り、500KV系送電については、昭和33年(1958年)に検討を開始して、15年の歳月をかけて広範囲な検討・研究を経て、昭和48年(1973年)に500KV運転が開始されている。
上述の通り、昭和41年(1966年)東京電力が、我が国初の500KV設計房総線を建設・竣工させたが、その設備概要は、東東京変電所~房総変電所間 63Kmの区間に、鉄塔174基を建て、電線ACSR410m㎡4導体を架線したものである。
その後、線路を21kmほど北西に延長し、昭和48年(1973年)に500KV昇圧運転を開始したのは、新古河変電所~房総変電所間 84kmの区間である。
また、東京電力に続いて関西電力でも翌年の昭和49年(1974年)に奥多々良木線が500KV運用を開始している。
この設備概要は、奥多々良木発電所~猪名川変電所間 70kmの区間に、太径電線STACSR810m㎡4導体を架線したもので、奇しくも鉄塔基数は当初の房総線と同じ174基が建設された。
その後、北海道および沖縄電力を除く各電力会社および電源開発株式会社は、それぞれ500KV送電線を建設、運転開始させ、我が国の500KVの送電線(100万V設計及び地中線を含む)のこう長は平成20年現在で約7,600kmとなっており、世界でも有数の高品質(周波数および電圧変動の少ない、かつ停電時間の短い)電力供給を担っている。
今日、我々が安定した電力エネルギーを享受出来るのは、発電・変電の技術革新と共に、ちょうど半世紀・50年前に先見の明のある送電技術者達が、新しい技術に果敢に挑戦し、多難な幾多の問題点を地道に克服して、我が国に広く500KV送電系統を構築したおかげであると言えよう。
No.13 日本鉄塔協会、鉄塔技術の歴史を語る講演会を開催
日本鉄塔協会は、この度10月7日、都内で「鉄塔技術の歴史を語る講演会」を開催した。
開催の趣旨は、鉄塔協会設立40周年の節目の年にあたり、発展してきた鉄塔技術の歩みを原点に振り返ってみることにより、今後の技術維持、発展の契機としたいとのことであった。
また、伏線としては、来年2009年が鉄塔国産化100周年に当たるので、その一世紀にわたる歴史を振り返って新しい発展に繋げたいとの趣旨もあった。
講演会には、全国の会員会社から130名の技術者が参加し、朝9時から夕方17時まで、長年にわたる豊富な実務を経験された5人の専門家による、鉄塔技術の歴史の講義を熱心に聴講され、まさに我が国の送電鉄塔の設計・製作に関する頭脳が、一堂に会した会合になった。
プログラムは、下記の通りであった。
1.設計技術
- 送電用鉄塔設計標準の変遷と最近の動向
元電源開発株式会社 嶋田 潔氏 - 送電鉄塔の材料、骨組、設計法の歴史
元東京電力株式会社 山岸啓利氏
2.製作技術
- 構造詳細設計・原寸の変遷と課題
元那須電機鉄工株式会社 若林安弘氏 - 鉄塔製作技術の変遷と課題
株式会社九州巴コーポレーション 西條公康氏 - 鉄塔ボルト製作の変遷と課題
アイエスケー株式会社 河渕謙介氏
また、「鉄塔技術者に期待する」とのテーマで、日本鉄塔協会監事である神奈川大学工学部教授大熊武司先生の特別講話があり、一堂に会した技術者に対して次のようなメッセージがあった。
- 技術継承と技術革新
古きを知って、現在の鉄塔がどのような経緯で発展してきたのかを正しく認識し(温故知新)、その知識を基に課題解決に挑戦し技術革新させて行くべきである。
また、次世代の技術者に的確に技術継承していくことが大切である。 - 基・規準の在り方を考える
技術の拠り所である規定、基・規準類については、法律、学会規準、および業界規準の大きく3種類あるが、その各々の背景と特徴をよくわきまえて、改訂・遵守等をしていくべきであり、またタイアップさせていくべきである。
なお、当日配布された200ページにおよぶ資料は、鉄塔技術者にとっては誠に中身の濃い、技術歴史バイブルに匹敵する貴重な資料であったと言えよう。
No.12 UHVの国際標準化制定作業が大詰め
送変電電圧の世界最高電圧である、UHV(Ultra High Voltage)(注参照)設備については、今から20年前の1988年に旧ソ連(現ロシアとカザフスタン)で、1150KV送電線が運転開始され、それに続いて、1992年に、西側諸国では我が国が初めて1000KV(最高電圧1100KV)送電線・西群馬幹線(右写真・現在500KV運転中)を建設している。
なお、1150KV送電線については、1991年に旧ソ連が崩壊し、経済危機による電力需要の停滞に遭遇するとともにルートの中央部がカザフスタンに分離されたこと等の理由で、1991年以降、電圧を525KVに降圧させて運転している。
さて、ブラジル、中国、インドなどの国では、人口の増加に対応して、如何に効率よく、また環境に与えるインパクトを最小限にした電力供給方法をどうすればよいか、深刻な問題を抱えている。
すなわち、国土の広いそれらの国では、電力資源のある地域から電力需要地の間に数千キロメートルの長い距離を電力送電しなければならない事情がある。
ここに、その問題解決の手段として、UHVの適用が最も適していると考えられ、したがって、今後急速にUHV送変電設備の建設が展開していくものと考えられる。
しかし、UHV技術については規格は10年以上前からあるものの、UHV技術の安全かつ効率的利用を確実に発展させるために必要な「UHV国際標準規格」と言う観点からは、現在はまだ、決まっていない状況であると言える。
このような事情から、、世界が満足する「UHV国際標準規格」を早急に決める必要が迫ってきた。
そこで、この規格化に責任のあるIEC(国際電気標準会議、International Electrotechnical Commission)およびCIGRE(国際大電力システム会議、Conseil International des Grands Reseaux Electriques、International Council on Large Erectric Systems)は、合同で昨年2007年7月に北京にて国際標準化検討会を行い、UHVの国際標準化の手順と目標時期等を議論した。
この結果、標準化すべき電圧を2回の投票で選定し、2009年2月に最終結果を得て規格化することになった。
なお、UHVの規格は、欧米では1200KVを主張し、また、イタリアは独自で1050KVを推奨してきた経緯があり、それが現在のIEC規格になっており、IECでは規格化は2種類以上増やさない方針である。
そこで、イタリアの1050KVはどの国も採用する可能性が低いことから、我が国としては世界最長となる10年以上の期間に亘り1100KV送変電設備の試験を行ってきた実績と優位性を北京の会議で強力にアピールし、1050KVに代えて1100KVを採択するよう働きかけた。
東京電力およびメーカーが一丸となった働きかけにより、このほど実施された1次投票では、投票した25カ国中21カ国が1100KVに賛成票を投じたとのことである。
今後は、更に1100KVの優位性を各国に対してアピールし、今年末に予定されている2次投票に向けて活動を活発化させるとのことであるが、1次投票の結果が覆ることはまずないであろうとの予測がなされており、我が国独自の1100KV技術が採択される可能性は高いとのことである。
従来から、さまざまな分野の国際規格に関しては、欧米に席巻されており、電力分野でも同様の状態であり、我が国はその後塵を拝してきた。
しかし、今回、我が国独自のUHV技術が国際規格として採用されれば、この世界的な流れを大きく変えることになり、我が国としては今後世界で本格的に建設が進むUHV設備の技術指導および建設受注に優位に立てることになり、ぜひとも実現して欲しいものである。
このUHVの国際規格化に引き続き、試験電圧の規格化、更には変圧器、遮断機、避雷器などの変電機器の具体的な規格化の作業が進められることになっており、我が国の提案した1100KVが欧米提案の1200KVと共に採択されることが今後の規格化の流れのなかで、我が国にとって有利になることは明らかであり、来年2月の最終結果が待たれるところである。
注UHVについて
UHV(Ultra High Voltage)すなわち超超高圧とは、交流では1000KV(100万ボルト)、直流では800KV(80万ボルト)およびそれ以上の電圧の送変電設備の電圧のことを言う。
UHVは、次の二つの点で有利である。
1点目は、大容量の電力を長距離にわたり送電するのに適している。すなわち、電圧が高いので大容量の電力を送電する場合でも少ない電流で送電可能であり、送電ロスが少なくて済む。
2点目は、大容量の電力を送電出来るので、少ない送電線ルートで、地域に対する影響を最小限に抑えて設備を建設させることが出来る。
世界的に、電力資源は偏在化しており、水力を例にとると発電適地は電力需要地の大都市から遠くに離れた場所にあるのが通例で、例えばアフリカ・コンゴ川の河口に近いインガダム水力発電所(滝利用の発電所では世界最大、最終的には中国三峡ダムを遙かに凌駕する3,900万KWを計画)を開発しても、その大容量発電電力を需要地に送電するには数千キロメートルの長距離送電線が必要となり、また、ブラジル・アマゾン川の大容量発電所を開発しても、やはり同様に電力需要地のサンパウロ等まで長距離送電線が必要となる。
世界的に見て、地球環境問題から原子力開発と同様に大容量水力開発が各地で行われると思われるが、その際UHV送電線の建設は各地で必要とされよう。
特に経済発展が盛んな中国にあっては、水力も火力も発電適地は西部に偏在しており、東部の電力需要地に送電するため1,000km~2,000km以上の長距離 DC(直流)UHV送電線建設プロジェクトを10以上計画している模様で、数年後には世界初のDCUHV送電線が運転開始されることであろう。
また、冒頭に挙げたインド、ブラジルでもUHV計画が進められているようであり、2010年代は世界的にUHV送電線建設の時代に入ることになるであろう。
No.11 社団法人・日本鉄塔協会の設立40周年記念式典が開催された
この度、平成20年5月28日、社団法人・日本鉄塔協会の設立40周年記念式典が、東京都心のホテルで開催された。
この式典では、記念講演として東京未来大学長の多湖輝氏が「企業と創造」をテーマに講演をされ、その後、関係者が多数参加した記念パーティが開催されて、これまでの同協会の40年に亘る実績を振り返ると共に、今後の更なる発展を誓い合ったとのことである。
同協会は、今から60年前の昭和23年に任意団体として設立され、40年前の昭和43年には我が国の鉄塔技術の進歩発展に寄与することを目的として社団法人化された。
同協会は、鉄塔製作メーカーを普通会員(現在16社)とし、協力会員(資材・設計・工事関係会社、現在27社)および特別会員(電力会社11社)で構成されており、鉄塔製作受注量は過去最盛期には年間約29万トンを記録したが、至近年度平成17年~19年の3年間平均値では大口の電力会社の発注が減少し年間約10万トンとなっている。
同協会の活動は誠に活発で、JIS規格の制定などによって鉄塔の設計・製作の合理化および標準化を推進すると共に、「鉄塔技術管理者資格認定制度」を設けこれまでに約600人の鉄塔技術管理者を認定するなど、鉄塔設計・製作技術の向上に努めると共に技術の継承に多大な貢献をしてきた。
現在我が国には約24万基もの鉄塔が建設・運用されているが、これは同協会の長年に亘る地道な活動成果の賜であると言えよう。
No.10 東京電力・66KV駒沢線No.61鉄塔が、世田谷区の「地域風景資産」の一つに選定された
東京都心西南部、世田谷区代田を経過している東京電力の66KV駒沢線No.61鉄塔が、この度世田谷区の「第2回地域風景資産」の選定条件に合格し、30件の内の一つとして「代田の丘の61号鉄塔」の名称で選定・登録され、3月15日付けの同区広報で発表された。
駒沢線No.61鉄塔は、小田急小田原線の世田谷代田駅から340m南方の、代田の丘が南に張り出しているその取っ付に建っている。
世田谷区では、「風景づくり条例」に基づく取り組みの一つとして、地域で大切にしたい風景と、そこで風景を通じて活動する方々がいることなどの下記条件のもとに、平成14年に第1回地域風景資産(36件)を選定しているが、この度第2回目の選定を行った。
具体的な条件としては、
- 風景の価値
- 地域の共感・共有
- 活動につながるアイデア
- コミュニティづくりに広がる可能性
の4条件であり、世田谷区代田に本部を持つ「北沢川文化遺産保存の会」では、駒沢線No.61鉄塔を候補として応募し、選定条件をクリヤーしこの度登録された。
さて、一般には無粋と思われる送電線鉄塔が、なんで世田谷区の地域風景資産に選定されたのか、不思議に思う方が多いと思うが、話は、今から75年前の昭和8年(1933年)に遡る。
話はやや長くなるが、どうぞ最後までおつきあいを頂きたい。
まずは、現在の66KV駒沢線であるが、大正14年から昭和元年にかけて、当時の東京電灯株式会社が、日本橋を中心に半径8哩・約13kmの半円を描く形で、東は花畑変電所から、鳩ヶ谷変電所、和田堀開閉所、洗足変電所までの間に66KV内輪線を建設したが、その時に南西側の設備として建設されたものである。
現在の駒沢線は、洗足変電所から和田堀変電所間の送電線で、当該箇所のNo.61鉄塔は昭和元年12月に建設された。
そのNo.61鉄塔には、22KVが併架されているが、昭和初期にはその鉄塔から22KV地中線を塔上分岐する設備が建設され、塔内に分岐のためのブッシング設置架台および昇降階段が建設された。
さて、その鉄塔の西隣に、詩人萩原朔太郎(1886-1942)が、昭和8年(1933年)に家を新築し引っ越ししてきたのである。
詩人は、鉄塔が東側にあるので家は建たないということを聞いてこの土地を選んで住んだそうである。
また、当時は緑の中に聳え立つ鉄塔は近代風景であり、鉄塔との調和を考えて朔太郎は家をデザインしたとのことである。
その家で育った萩原朔太郎の娘葉子(1920-2005)は、長じて小説家になり、この代田の家での出来事を「蕁麻の家(いらくさのいえ)」という小説作品に綴った。
この家の隣に建つNo.61鉄塔が彼女の内面心理のシンボルとなっていて、具体物であるこの鉄塔については,小説の中で度々描写されている。
ことに塔体内に設置された昇降階段を上って自死を考える場面もあるところは、それを読んだ者にとっては忘れられぬシーンであろう。
しかし、萩原朔太郎および萩原葉子の居住痕跡は今は何も残っていない。
彼等を想起させるのはこの代田の駒沢線鉄塔61号しかなく、また、この鉄塔は代田の丘の取っ付にあって古くから地域のランドマークとなっており、代田固有の風景となっていて、地域で大切にしたい風景となっているものである。
そこで、前述の保存会がこの鉄塔を地域風景資産として申請し、今回の登録となった。
一方、この鉄塔の所有者である東京電力に対して、保存会では、当該鉄塔を現状の形のまま存続させ、将来建替える際にも鋼管単柱等ではなく山型鉄塔を考慮するよう東電に要請したとのことで、東電も基本的にこれを受け入れたと聞いている。
なお、現在は、写真のように22KV地中線は撤去され、ケーブルおよびブッシングなど電線関連設備は見られないが、昇降階段は存置されている。
No.9 中国、中・南部で50年に一度と言われる大雪害が発生、その後の情報(その4)
50年に一度、中国建国以来と言われる大規模な、大雪被害、低温気象被害について、当ブログで取り上げるのはこれで5回目になるが、中国全体の被害の総括的情報を、知ったので紹介する。
すなわち、国家電力監督管理委員会の発表によると、中国全土で今回の氷雪害に、南部の豪雨を含めた異常気象のために損壊し、運転がストップした送電線は約1万線路にのぼったとのことである。
特に被害の大きかった中国南方電網公司系統で被災し、運転を停止した送電線は、約6,300線路に及んだそうである。
これらの送電線被害復旧状況は、2月10日現在で約65%以上回復したとのことである。
この復旧状況については、被害の軽微な部分に対する応急処置によるものがほとんどと思われ、倒壊した大型鉄塔の本格的復旧は、今後、早くても数ヶ月を要するものと思われる。
また、被害の復旧については、特に超高圧の「西電東送」送電線を最優先に行っていることであろう。
なお、中国の送電企業は、上掲の「中国南方電網公司(供給範囲:広東省、広西自治区、雲南省、貴州省、海南省、設備規模は220KV以上の線路約4万km)」と、「中国国家電網公司(供給範囲:南方電網公司以外の地域、設備規模は220KV以上の線路約20万km)」の2社で全国をカバーしているが、今回の氷雪害は、両企業に極めて多大な損害を与えたようである。
No.8 中国、中・南部で50年に一度と言われる大雪害が発生、その後の情報(その3)
50年に一度、中国建国以来と言われる大規模な、大雪被害、低温気象被害について、当ブログで取り上げるのは4回目になるが、送電技術者として最も知りたい技術情報が、或るインターネットのホームページに掲載されたので紹介する。
それは、2月6日付けで掲載されたものだが、中国国家電力監督管理委員会の首席シニアエンジニアが記者会見で明らかにしたもので、中国政府の災害緊急対策本部が、被災した送電網の緊急復旧作業に鋭意取り組んでいるとの話の中で、耐氷雪設計と着氷雪実態について解説している部分である。
すなわち、
- 深刻な被害を受けた地域は、北緯25から30度の区域に集中している。
- 今回被災した区域における送電線は、概ね30年に1回程度起こると想定される着氷厚さ10mmに対応できる電気設備技術基準により設計されている。
- しかし、今回は50年ぶりの大寒波に見舞われ、30~60mm程度の氷で覆われたため、鉄塔は重力と水平方向の張力による荷重に耐えられなくなり、多くの鉄塔が倒壊に至った。
と説明、送電施設の強度不足が原因だと認めた。
今後新たに建設する送電施設の設計変更については、
- 30mmの結氷に対応できる基準では、現行基準より鉄塔材料費で4.4倍、建設コストは3.6倍にまで膨む。
- それに伴い、電力価格の値上がりも避けられない。
と指摘、強度引き上げに対する慎重な見方を示した、とのことである。
No.7 中国、中・南部で50年に一度と言われる大雪害が発生、その後の情報(その2)
50年に一度、中国建国以来と言われる大規模な、大雪被害、低温気象被害については、種々のインターネットのホームページ情報および新聞報道により、大凡のニュースは流れているが、具体的な数値情報については報道されていない。
特に電力インフラの被害の規模について、数値情報が知りたいところだが、分からなかった。
しかし、2月6日付けの一部インターネット・ホームページ情報および新聞報道で、部分的な数値情報が発表されていたので紹介する。
すなわち、電力インフラ被害で最も深刻な被害は送電用鉄塔が、送電線に付着した氷の重みで次々と倒壊したことであり、上海に隣接し、インフラの整備状況が良いとされる浙江省でさえ3,867基の鉄塔が倒壊し、総延長3,300kmの線路が使用できなくなった、とのことである。
更に、まだインフラ整備が十分でない貴州、湖北省といった地方では送電網がほぼ壊滅し、両省の全家庭のうち6割前後が停電に見舞われているとのことである。
したがって、今回の雪氷被害が及んだ中国の中・南部の、貴州、湖南、湖北、安徽、江西、河南各省など14省の広範囲な地域全体では、想像を絶する数の送電線被害が発生しているのではないかと思われる。
No.6 中国、中・南部で50年に一度と言われる大雪害が発生、その後の情報(その1)
種々のインターネットのホームページ情報および新聞報道によると、50年に一度、中国建国以来と言われる大規模な、大雪被害、低温気象被害の復旧については、人民解放軍と人民武装警察部隊および予備役民兵の、計約80万人が、1月末までに緊急出動し、鉄道線路上に倒れた鉄塔の爆破除去作業も含め、救助活動、救援物資などの輸送、緊急工事、除雪作業などに従事しているとのことである。
電力インフラについては、湖南省内の国家電網公司 復旧作業指揮部では1月31日、天候が再悪化しなければ、2月7日の春節(旧正月)までに、ほぼ全ての地域で電力供給を復旧できると発表した。
それによると、被害が最も大きかった湖南省でも、湘南地区を除けば天候は好転しており、1月30日までに220KV送電線12線路を修理し、50万KW分の送電を復旧させている。
1月末現在、同社職員に、人民解放軍などからの応援を合わせ、約3万人が更なる復旧作業を続けているとのことである。
ただ、この冬、中国上空の大気の状態は特に不安定で、西南部の湿った空気と北部の強い寒気が絶え間なく黄河の南で合流し、これが各地に1949年以来の大雪をもたらしていると国家気候センターは分析しているとのことである。
気象専門家の話では、1949年の大雪より今回のほうが広範囲で降り続く時間が長く、降雪量の多さから被害も大きいと指摘しており、今後の積雪被害はさらに拡大するとの見方もあるようだ。
なお、今回の豪雪により被った経済損失は、約8千億円に達するとのことである。
No.5 中国、中・南部で50年に一度と言われる大雪害が発生
中国情報局、その他新聞社などのインターネットのホームページ情報によると、1月10日頃から1月28日までの間に、中国の中・南部の、上海市、貴州、湖南、湖北、安徽、江西、河南各省など14省の広範囲な地域に、50年に一度、中国建国以来と言われる大規模な、大雪被害、低温気象被害が発生した。
このため、約7,800万人が被災し、電力設備も送配電線の倒壊、断線、変圧器の故障が相次ぎ、広い範囲で停電が発生している模様である。
電力インフラについては、一部で鉄塔が倒壊したほか、貴州省では着氷の重みでこれまでに高圧送電線が2,800カ所以上で切れるなどの被害が出たとの情報もある。
インターネットに掲載された送電線被害写真(中国報道局・CNSPHOTO報道写真、湖南省の500KVまたは750KV,4導体線路)を見ると、摂氏零度以下になった雨滴が、氷点以下の物に付いて氷となる「雨氷」現象で、鉄塔、電線、がいしが厚い氷で覆われ、つららも見られる深刻な被害状況が写っていた。湖南省では、8,000人の現地の電力作業員を動員して応急修理をすることに馬力をかけているとのことである。
貴州省南部の電力会社では全力で復旧作業を進める一方、被害の拡大を防ぐため一部地域では武装警察部隊隊員によるライフル銃の射撃で着氷を取り除くなどの「荒技」の実施に踏み切ったところもある。
また、火力発電所自体の被害はないものの、燃料の石炭が交通マヒで運搬できず燃料不足で発電不能の状況になっている発電所もあるとのことである。
これら電力インフラの被害は大規模・深刻で、電力供給のトラブルでは過去最悪の事態になった模様であり、1月28日現在、一部では復旧したが、広範囲に停電が及んでおり、今後も予断を許さない状態という。
No.4 送電線建設技術研究会・関東支部の発足50周年記念祝賀会が開催された
この度、平成20年1月17日、送電線建設技術研究会・関東支部の発足50周年記念祝賀会が、東京九段のホテルグランドパレスで開催された。
同支部は、昭和33年6月11日に創設され、主に関東地区の架空送電線設備、支持物数約45,000基、線路こう長約15,000kmにおよぶ膨大な設備建設を行ってきた会員工事会社を、主として建設工法技術面から支援し、首都圏の電力供給に大きな役割を果たしてきたもので、今年でめでたく満50年を迎えることになった。
出席者は、林喬氏関東支部長以下、支部会員41社、同維持会員(資機材メーカー等)21社、工事発注元の東京電力株式会社及び電源開発株式会社、並びに関係団体の日本鉄塔協会、日本電気協会、及び送電線建設協力会で、実に227名の多数の関係者の方々が集った。
また、出席者は、創設当初から同支部の発展に貢献された往年の方から、現在工事第一線現場で活躍している若手まで、誠にバラエティーに富んだ顔ぶれで、半世紀に亘る思い出話に花が咲き、和やかな雰囲気に包まれていた。
ここで、送電線建設技術研究会についての若干の説明をすると、以下の通りである。
送電線建設技術研究会は、昭和24年に発足したもので、当初は任意団体であったが、昭和32年に社団法人化され今日に至っている。
また、同会では、事業の拡大発展に伴い、昭和27年に東北、中部、関西、中国、九州支部が発足し、上述の通り昭和33年に関東支部、続いて昭和34年に北海道支部、昭和36年に四国支部、昭和38年に北陸支部が発足し、計9支部が創設されている。
我が国に於ける送電線建設工事会社の規模は、他の建設業の企業規模に比較し、小さく、我が国の発展に不可欠な電力流通設備の拡大強化に当たり、建設工事の合理化・機械化、安全工法の確立などに当たっては、個々の会社では限界があり、工事技術の向上と企業の発展を目的とした共同の調査研究機関を作りそれらの問題を克服すべく、先人の高い洞察力により同会が設立されたものである。
以来、同会は、半世紀以上に亘り、当時の商工省(現経済産業省)及び工事発注元の電力会社指導の下に、高度な工事工法の調査・研究・開発及び人身安全工法の確立に努め、我が国における電力インフラ設備のうち、架空送電線設備の建設工事に多大な貢献を成し遂げてきた。
同会設立当初は、建設工法は、殆ど人海戦術にたよっており、欧米の高度な機械化に比較し、建設技術が劣っていたが、半世紀に亘る同会の活発な活動により、今日では世界最大級の100万ボルト設計送電線を建設するまでに至り、世界的に見ても我が国の送電線建設工法は最先端を行くまでになった。
送電線建設技術をここまで発展向上させ、我が国の送電線設備を高度に発展させ得たのは、電力会社自身の調査研究があったことは勿論であるが、建設工事業界が一致団結して技術革新に取り組んできた成果があってのことと、同会の活動実績が高く評価されている。
なお、今後は、高度成長時代に建設した多くの送電線が、リニューアルの時期にさしかかっているが、従来の大容量・高電圧化に対応した技術革新から方向転換して、社会環境・自然環境に優しく、かつ、より安全性の高いリニューアル工法の調査・研究に取り組んでいくと聞いており、電力インフラ設備の一層の充実に関して、ますますの同会の活動に期待が寄せられている。
No.3 俳優 森田健作氏の「電力インフラを支える人たちへの思い」が産経新聞に掲載された
ちょっとニュースとしては古くなったが、ぜひ、送電線建設保守に携わっている方々には、知ってもらいたい記事があるので紹介する。
2007.12.06(木)の産経新聞、「今週のご意見番」に、俳優、元衆議院議員の森田健作氏が、「"当たり前"を支える人たちに思いを」と言う見出しで、意見を述べられている。
著作権の問題があるので、全文は紹介できないが、要点は以下の通りで、我々日常生活の「当たり前」を、当たり前ではない努力でそれを支えている人たち、風雨の中、送電線の保守点検に危険な作業をしている電力ラインマン達などへの思いをはせようではないか、という内容である。
すなわち、要点は、「我々が"当たり前"として享受している文明の利便性は、決して当たり前ではなく、先人の努力と、今、支えている人たちのおかげである。例えば、一昨年8月に発生したクレーン船が275kV江東線の電線を切断した事故については、東京電力に批判が集中したが、復旧に向けた東電の努力で3時間後には停電が解消したことへの評価が殆ど顧みられなかったことに、享受する側のおごりを感じざるを得なかった。ライフラインの維持に関心を持ち、当たり前ではない努力で支えられていることを知り、風雨の中、送電線の点検補修に危険な高所作業をする人たちのことに、もっと思いをはせようではないか。」と言う内容であった。
まだ読んでいない方には誠にお手数だが、図書館等で新聞バックナンバーをお読みいただき、まだ読んでいない送電線関係者に紹介していただきたいと思う次第である。
森田健作氏は、平成21年3月29日に行われた千葉県知事選挙で、100万票を超える投票数で、めでたく千葉県知事に当選された。
No.2 直流UHV+/-800KV(世界初)送電プロジェクトが開始される
中国、国家電網公司は、四川省、金紗江に既に2006年末に建設開始したXiangjiaba水力発電所(出力600万KW)(金紗江と民江との合流点の数十キロメートル上流地点)から上海までの、直線距離で約1,700kmの間に、DC+/-800KV(世界初の直流UHV)送電線を建設開始すると発表した。(2007.5.23発表)
運転開始は2011年を予定しているとのことである。
(Global Energy Network Institueの情報による)
No.1 鬼怒川線鉄塔など近代化産業遺産登録、他
2007年12月20日は、我が国の長距離送電成功から、ちょうど100周年の記念日である。
平成19年(2007)12月20日は、我が国初の長距離送電(75.6km)を実現させ、かつ、その線路の一部に初めて鉄塔(アメリカ製)を使用した、55KV駒橋線が、明治40年(1907)12月20日に運転開始して、ちょうど100年目に当たる記念すべき日である。
(55KV駒橋線は、当HP「歴史に残る送電線」に掲載)
東京電力の「電気の史資料館」に展示されている、46KV塔ノ沢線及び66KV鬼怒川線鉄塔が、2007年11月30日、経済産業省の「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」に認定された。
経済産業省では、全国に所在する産業遺産を地域活性化のために、有効活用する観点から、優れた価値のある産業遺産を認定する作業を進めてきた。
この度、全国で33件の遺産群が、2007年11月30日に認定されたが、そのなかの一つである「日本の重工業化の端緒となった京浜工業地帯の重工業関連遺産群」、正式名称「『重工業化のフロントランナー』京浜工業地帯発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」のインフラ部門として、標記設備などが認定された。
すなわち、電力事業草創期に、遠隔地の水力発電所から首都圏に電力を運んだ46KV塔ノ沢線及び66KV鬼怒川線鉄塔と、横浜市にあった、旭変電所同期調相機の送変電設備3点は、明治から大正にかけて建設・運用され、現在は、東京電力の電気の史料館に展示されているが、京浜工業地帯発展に貢献したインフラ設備として、この度の経済産業省の「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」の一つに認定された。
(全国33件の遺産群で、他に発電所が認定されているものが何件かあるが、電力送変電設備としては上記が唯一の認定設備である)
46KV塔ノ沢線鉄塔
塔之沢線は、明治42年(1909)、箱根水力電気会社が塔之沢発電所(3,300KW)と保土ヶ谷変電所間58Kmに建設した46KV送電線である。鉄塔は58Kmのうち16Km,166基に採用され、鉄塔が本格的に使用されたのは塔之沢線が初めてであった。
この鉄塔の設計は、アメリカの技術を仰いだが、我が国初めて国内で製造されたものであり、製作会社は石川島造船所である。
(46KV塔ノ沢線は、当HP「歴史に残る送電線」に掲載)
66KV鬼怒川線鉄塔
鬼怒川線は、鬼怒川水力電気が明治44年(1911)に鬼怒川温泉に建設した下滝発電所の電力を、東京市電に供給するため尾久変電所まで、124Kmの間に建設された66KV送電線で、大正元年(1912)12月に竣工した。
鉄塔は石川島造船所製で、鉄塔総数1,261基であった。
(66KV鬼怒川線は、当HP「歴史に残る送電線」に掲載)