旅の起点は、ニューヨーク・マンハッタンであるが、その最南端地区であるロウアー・マンハッタン(Lower Manhattan)の風景である。
画面左端がハドソンリバー、右端がイーストリバーである。
アメリカ大陸横断鉄道の物語 The story of American coast-to-coast railroad
1.旅のきっかけ
アメリカ大陸とは、どんな所なのか、以前からTVの旅行番組などで見るたびに機会を捉えて是非行ってみたいと思っていたが、部分的な旅行で何回にも分けて旅行したり、あるいは1回で旅するにしても数週間も時間をかけて旅するのは経済的に無理なので実行に移せずにいた。
しかし、だんだん老化してくるので元気なうちに大雑把に肌でそれを感ずるのに最も適した旅行方法は無いか、と真剣に考えるようになった。
そんなときに旅行社のパンフレットを取り寄せてみたら、10日間ほどの日数で昔懐かしいルート66を行く高速バスの旅とか、大陸横断鉄道を使う旅などがあることが分かった。
早速詳細に検討したが、老齢化した身体に楽なのは何と言っても鉄道だと決めて大陸横断鉄道の旅をすることに決めた。
なお、最も身体が楽で効率的なのは航空機による旅だが、航空機の旅はピンポイントの旅となり地上を移動しないため大陸の全体像を味わえないので除外した。
起点はニューヨーク、終点はサンフランシスコとして、2010年5月に旅行社の企画したツアーに参加し大陸横断の旅をした。
2.横断ルートの選択
アメリカ大陸に張り巡らされた長距離旅客鉄道は、アムトラック(Amtrak)と呼ばれアメリカ旅客鉄道公社(National Railroad Passenger Corporation)が運営している。この会社は近年旅行者が自動車と航空機利用を選ぶようになり鉄道経営が撤退を余儀なくされた中で、旅客鉄道事業を絶やさないために1971年に公共企業体アムトラックとして誕生した会社であり、ほとんど線路インフラを持たず全米に張り巡らされた各地の貨物列車会社の線路を借り受けて営業している。
今回利用したのは数ある路線の中でも最も人気の下記ルートを選んだ。(右図参照)
それは、
①ニューヨークからシカゴ間はレイクショア・リミテッド号(Lake Shore Limited)で1泊2日の旅、乗車距離は約1,540km、
②シカゴからサンフランシスコ間はカリフォルニア・ゼファー号(California Zephyr)で2泊3日の旅、乗車距離は 約3,930km、
合計乗車距離は5,470kmである。
なお、「ゼファー(Zephyr)」とは、「西風」のことである。
3.ルートの自然と乗車記録
日本では見られない自然のスケールと素晴らしさ
始発駅のニューヨーク・ペンシルヴァニア駅は、右写真のビルの地下にある。
この始発駅のニューヨーク・ペンシルヴァニア駅は、USエアウェイズ1549便が2009年1月15日午後3時30分ごろ、バードストライクが原因でハドソン川に不時着水した事故(全員無事救出)があったが、その着水場所がちょうど目の前という位置にあった。
画面の左方向に少し行くとハドソン川である。
右写真は、地下駅の出発ロビーの様子である。
中央に出発列車の案内板がある。
出発ホームは、地下駅で暗いため機関車の写真は撮れないので、ここに掲げた写真は、アムトラックのサンフランシスコ終着駅・エメリービル駅で撮ったものである。
機関車は2両連結である。
さて、出発した列車は、マンハッタン地区の中心部を出るまではトンネルのような地下ルートを走り、景色は見えないがしばらく行くと左にハドソン川が見えてくる。
午後3時45分に出発した列車からは、230km先のオールバニーまで2時間半のあいだ、ずっと左にハドソン川が流れ、次第に夕日に染まる美しい景色を見せてくれた。
右写真は、途中で見た川幅約2.3kmを跨ぐ大きな橋梁で、片側3車線の高速道路が、別々の橋脚で建設されている大きな橋である。
乗車した車両の出入り口と、乗務員の愛嬌ある太ったおじさんである。
さて、オールバニーまでハドソン川左岸を北上した列車は、ボストンから来た列車を連結して方向を西に転進しシカゴに向け発車するが、日没時刻になり景色は見えなくなった。
鉄道ルートはエリー湖の南岸を通るのだが夜で景色は見えず、朝、明るくなったときには既にエリー湖は通り過ぎていて、シカゴまでは農耕地と林が交互に過ぎていくのどかな景色があった。
アメリカ大陸は大雑把に言えば、東半分はアパラチア山脈が大西洋岸近くにあるものの大部分は比較的なだらかな平地・農耕地であり、一方西半分はロッキー山脈を含む山岳地および高原である。
最初に乗ったニューヨークからシカゴ間のレイクショア・リミテッド号は、その平原地帯を走って、前述の通り農耕地と林が交互に現れる風景であった。
シカゴには定刻の午前9時45分に到着し、列車と別れシカゴでは市内観光のためホテルに1泊したが、市内を歩くと噂通り高層ビルが林立し圧倒された。
シカゴで一番高いビルの展望室から見た中心街である。
ミシガン湖、湖畔から見たシカゴ中心街である。
翌日、いよいよメィンエベントのカリフォルニア・ゼファー号でシカゴからサンフランシスコまで2泊3日の旅が始まる。
シカゴの駅ユニオンステーションはその壮麗さで有名な造りの駅であり、アル・カポネの映画「アンタッチャブル」で撮影され広く知られて有名になった。
発車時刻は午後2時だが、定刻より30分遅れて発車し、列車は平坦な穀倉地帯をまっしぐらに西に向かって走った。
途中、農耕地帯にぽつんぽつんと現れた幾つかの小さな街を通過したが、建物が明るく地域と調和がとれた建て方で清潔感溢れる佇まいの街々であった。
午後6時半頃ミシシッピ川を1時間遅れで渡った。
このミシシッピ川を渡る鉄橋は、一部分大きな船を通過させ得るように線路毎ぐるっと直角に回転できるめずらしい構造になっており、列車は慎重に徐行して通過した。
右写真の右端の橋脚が中心を軸にして90度回転する。
なお、角のように2本のクレーン・アームが見えるが、橋梁とは直接関係ない工事のものだったようだ。
アメリカ人の乗客は、殆どの人が展望車の席から立ち上がって、盛んに写真を撮っていた。
ミシシッピー川は、心の古里なのだろうか。
さて、ここからデンバーの手前までは夜になり第一夜を過ごしたが、その間に列車は大分遅れてデンバーの手前の駅では2時間20分遅れの運行であった。
第一夜の夜明けと共に見えてきた景色は水平線の遙か彼方まで畑で、大規模耕作地(一区画一辺1,000ヤードすなわち900mの大きさ)が続いていた。
旅行時期が端境期だったせいか大豆、とうもろこし、麦などの作物は刈り取られた後で農作物は生長していなかった。
デンバーに近くなると、これから我々が向かう、ロッキー山脈の標高3,000m~4,000m級の雪をかぶった山並みが見えてきた。
デンバーには午前7時15分の定刻到着時刻に対して約2時間遅れで9時10分に到着した。
デンバーはロッキー山脈の東のすそ野にあるが、すそ野と言っても標高は高く海抜約1,600mもありちょうど1マイルに当たるのでThe Mile High Cityと呼ばれている。
高標が高いのでそこでゴルフをすると飛距離が伸びて良いスコアーが出るらしい。
右写真は、我々が乗車した2階建ての寝台車両である。
デンバーでは、機関車の交換作業をはじめ、給油、給水、食料の積み込みなどを行っていた。
また、下車する乗客の荷物運搬などの作業も行い、そこでは1時間弱停車し、午前10時少し前に、やはり2時間弱の遅れでロッキー山脈目指して出発した。
ロッキー山脈の分水嶺はデンバーから鉄道線路長で90km先で、その間に高度を1,200m稼いで、モハットトンネル(Moffat Tunnel)と言われる約10kmの長い分水嶺トンネルをくぐるのだが、その入り口でアムトラックルートの最高地点となる標高2,817mを通過することになる。(トンネル入り口地点の地球座標「39 54 08.55 N 105 38 40.16 W」)
この標高は日本の北アルプスで言えば白馬岳の南にある杓子岳の山頂を走るようなもので、線路の建設工事は大変な苦労をされたと思われる。
デンバーから分水嶺までは急な勾配を登るため、右に左に急カーブを画いて進むが、特に「リトル10カーブ」と「ビッグ10カーブ」と呼ばれる急カーブの場所がある。
これは半径約175mの厳しいヘアピンカーブとして有名な所で、「10カーブ」と言うのはアメリカ幹線鉄道の曲線規格で、弧度法による最も急なカーブ区分である「10度」に該当するカーブであることを意味している。(「10カーブ」については、<付録 鉄道の曲線(カーブ)について>で解説しているので参照されたい。)
「リトル10カーブ」とは、急カーブに進入する線路方向と出る線路方向が鈍角で、曲がる度合いが少ないカーブを言い、「ビッグ10カーブ」とは、進入線路方向と出る線路方向が鋭角で、ほぼ360度に近い角度をぐるっと回転して元来た方向に近い方向に出てくるようなヘアピン状のカーブを言うようだ。
この場所は、デンバー駅から約30kmの所で「S」字状のカーブが登り勾配の急な斜面にあり、上図S字の下から進入して左へ曲がる「リトル10カーブ」を通過して高度を上げ、次に左に曲がるやや緩いカーブを経て、最後に右に曲がる「ビッグ10カーブ」を通過して更に高度を上げて「S」字状の右上から出る、
鉄道ファンにとっては垂涎の的となっている大変有名な場所である。(その地点の地球座標「39 51 18.59 N 105 15 23.88 W」)
右写真は、「リトル10カーブ」を通過しているところである。
右写真は、「ビッグ10カーブ」を走り抜けたところで撮ったものである。
線路をピンク色で示しているが、遠方の線路を左に向かって走り、画面左側の「リトル10カーブ」を通過して右に向かって走ってきた。
右写真は、上の写真と同じ位置で撮ったもので、上の写真より右方向、「ビッグ10カーブ」方向を向いて撮ったものである。
やはり線路をピンク色で示しているが、遠方の線路を左に向かって走り、画面外になるが「リトル10カーブ」を通過した線路が手前に見える。
この線路を右に向かって走り、写真右端の「ビッグ10カーブ」に至るところを示している。
デンバーから分水嶺までは急な勾配を登るため、右に左に急カーブを画いて進むが、上記の「10カーブ」に近い急カーブを何カ所も通過した。
急勾配の厳しい山岳地形の箇所をモハットトンネルまで、出力を最大限まで上げて慎重に高度を稼いでいく。
分水嶺トンネルをぬけると後は2,200km先の太平洋に向かって上り下りを繰り返しながらしながら少しずつ高度を下げていくが、峻険な山岳地帯で春なのに積雪の中を走ったり、美しい川沿いの渓谷あり、温泉地帯あり、デベックキャニオンなど峡谷あり、地平線まで見渡せる真っ平らな高原砂漠あり、広大な高原湿地帯ありで、誠に変化に富んだ景色が走馬燈のように変化して誠に素晴らしかった。
さて、分水嶺トンネルをぬけると吹雪だったが、すぐに川に平行に走り始めた。
この川はコロラド川で、グランドキャニオンを通ってカリフォルニア湾に注ぐ大河の源流である。
この川は約500kmにわたって鉄道の右に左に蛇行しながら平行して流れ、右写真のように美しい渓谷の景色を見せてくれた。
また、グランドキャニオンにはおよばないが、デベックキャニオンと呼ばれる峡谷があり、見事な巨大な岩山を見ることができた。
ロッキー山脈の懐深くでは変化に富んだ景色を堪能し、二晩目を迎えた。
ただ、塩水湖として有名なソルトレークは真夜中に通過し見ることができなかったのが残念だった。
ネバダ州の真ん中付近を走っているときに遠い山の頂上から昇る日の出が見え、二晩目の夜が明けた。
周囲が明るくなると乾燥し砂漠化した高原・台地が続いていて、行けども行けども人の気配が全くない茫漠とした風景が続いているのに驚いた。
そのうち左右から山岳地が迫ってきて砂漠をぬけた頃、午前9時半過ぎにラスベガスなどと共に全米第3のギャンブル都市として名高いリノに着いた。
デンバーからずっと自然の美しい景色を見てきた目には、高原大地の一廓に忽然とそこだけネオンの輝く市街が現れたのにはビックリした。
ホームを見るとギャンブルに胸躍らせてニコニコ、わくわくしながら街に向かう大勢の人が下車していた。
さて、途中ダイヤ遅れの回復を期待したが、ギャンブル都市リノではまだ1時間遅れだった。
右写真は、展望車2階席であり、天井の半分までガラスで作られていて明るく、とても眺めの良い車両である。
時々行っては景色を楽しんだ。
この写真は、ちょうど、シエラ・ネバダ山脈の標高の高い峠を走っているときに撮ったもので、時期は5月下旬というのに外は一面の銀世界であった。
リノを後にし、山岳ルートの最後になるシエラ・ネバダ山脈を越えて、山を下るとサクラメントから平地・農耕地帯に入り終点のサンフランシスコに到着する。
ギャンブル都市リノではまだ1時間遅れだったのに、特に速度を速めて飛ばした形跡はないのに、平地に入った最初の駅サクラメントには午後2時に到着して、いつの間にか遅れが解消してオンタイムになり、終点のサンフランシスコ・エメリービル駅には逆に10分早く午後4時ちょうどに到着した。
どこでどう遅れを解消したのか狐に化かされたように分からずじまいだった。
多分、何処かの駅でダイヤ表に現れないシワ取りの停車時間が組まれていて、遅れたときは停車時間をカットするように仕組まれているようだ。
終着のエメリービル駅はサンフランシスコ市内ではなくサンフランシスコ湾を隔てたオークランド側にあるので、市内にはアムトラックが用意したバス等で湾に架かったベイブリッジを渡って市内まで行くようになっていて順調にホテルに着いた。
やれやれ大変お疲れ様でしたと、ツアーに参加した一同で顔を見合わせた。
右写真は、サンフランシスコ中心部の写真であり、遠方に薄く写っているのが本土・オークランド側である。
ところで、通った州は、ニューヨーク、ペンシルヴェニア、オハイオ、インディアナ、イリノイ、アイオワ、ネブラスカ、コロラド、ユタ、ネバダ、カリフォルニアの11州であった。
なお、アムトラックは区間によって列車の速さは大分違うが、大雑把には平均速度は80~100km/hであった。
4.鉄道運用の形態
貨物線活用のメリット、デメリット
アムトラックは、前述のようにほとんど線路インフラを持たず全米に張り巡らされた各地の貨物列車会社の線路を借り受けて営業している。
したがって、旅客特急列車といえども貨物が第1優先で線路運用をしているのでアムトラックは居候のような扱いのようである。
線路設備はほとんどの区間が単線設備であり、複線区間は大都市近郊だけのようである。
したがって、単線区間では所々に設置された列車交換用待避線路でダイヤをやりくりして運用しているが、貨物列車が遅れた場合には特急旅客列車は待避線で待たされる羽目になる。
貨物列車は連結車両が多く長いので、待避線で待つことができずにスルーで通過していくことが多く、待避線で待たされるのは主として旅客列車の方である。
そのため、シカゴ~サンフランシスコ間のように長距離列車になると、部分的遅れが累積されて数時間から半日遅れの運用が日常茶飯事であるようだ。
だから、ダイヤシワ取りの時刻表が必要になってくるものと思われる。
運転手はダイヤ司令室との駆け引きをしながら運転しているようで、オンタイム運転ができるとその都度ボーナスが支給されるとのことである。
逆に遅れると、遅れ時間によって乗客に軽食等を提供することになっているので、定刻運転でそれが回避されれば運転手の成績が評価されるのは納得がいく。
そのような事情のなかで、今回の旅行で定刻到着ができたのはめっけ物であったと言えそうだ。
なお、レイクショア・リミテッド号およびカリフォルニア・ゼファー号とも一日1本の運行である。
5.使用車両の実態
日本文化(おもてなしの心)との違いを痛感する
今回乗車した列車カリフォルニア・ゼファー号では機関車がディーゼル機関車2両で、それに貨物車1両、寝台車3両、食堂車1両、展望車1両、座席車両3両などが連結され、機関車を含め全部で11両編成であった。
機関車はディーゼルエンジン駆動であるが、電気を用いたハイブリッド方式で、車輪を駆動させているのは三相交流電動機である。
まずディーゼルエンジンで直流発電機を回して直流電力を発生させ、それを静止型インバータに供給し、そこから列車速度と負荷量に応じた最適な可変交流電圧および可変周波数を発生させて三相交流電動機を回して回転力を車輪に伝える方式である。
この方式は、世界的に最先端の技術であり、我が国の新幹線にも採用されているVVVF(Variable Voltage Variable Frequency)方式を採用している。
今回乗車したディーゼル機関車はGE製で、出力は約4千馬力、約3,200kWで2両で牽引していた。
ちなみに日本の新幹線は700系16両編成での出力は13,200kWであり、アムトラックは新幹線の半分程度の出力で運転されている。
ところで、アムトラックは近年旅行者が鉄道よりも自動車と航空機利用を選ぶようになったため経営が苦しく、旅客サービスが疎かになっているようだ。
右図は、カリフォルニア・ゼファー号の2階建て寝台車両の概要図である。
青色の個室が普通寝台で、淡いクリーム色の個室がデラックスキャビンであり、赤色の個室が当方が利用した部屋である。
また、紫色の個室は身体障害者で、淡い緑色が3人以上の家族向けの個室である。
寝台車のデラックスキャビンなどは人気で、なかなかキップが取れないと言われて乗車率は高いものの、設定運賃と経営経費のバランスが悪く利益が出ないようである。
そのため車両のメンテナンスはいい加減で、レイクショア・リミテッド号では普通寝台個室を利用したが、乗車車両の全てのトイレが故障していて使用禁止であり、隣の隣の車両まで移動して用を足す始末であった。
また、カリフォルニア・ゼファー号では寝台車のデラックスキャビンを利用したので、さぞ寝心地は良いのではないかと思っていたところ、上段寝台の吊り金具のボルトが1箇所破損していて誠に不安定な状態であり、さらに廊下と個室を仕切るドアが不具合で旅の途中から開閉が出来なくなりカーテンで仕切っただけで就寝せざるを得なかった。
デラックスキャビン利用料として運賃のほかに個室代10万円も出費したのにこの始末であった。
メンテナンスがいい加減なのと、整備不良の車両でも車両のやり繰りが間に合わないほど少ない車両で運用しているようだ。
日本では考えられないサービス精神の希薄な実態で、おもてなしの心を大切にする日本文化と、いいかげんで鷹揚なアメリカ文化の違いだろうか。
6.旅を終えて
以上、アムトラックを利用したアメリカ大陸横断の旅の話であるが、大西洋岸から太平洋岸までおぼろげながらその雰囲気を知ることが出来て、整備不良車に乗せられたものの、アムトラックを選んで大変良かったと思っている。
本文ではアムトラックに関して褒めた話をしなかったが、カリフォルニア・ゼファー号の食堂車でとった計6回の食事は誠に美味しく、食事にこだわるアメリカ人の気質に答えるように提供されていて一流ホテルの食事と遜色なかったと思う。
さらに、展望車は見晴らしが良く長旅の疲れを吹き飛ばす良い雰囲気でリラックスできたし、車両担当のアテンダント(太ったおじさん)も典型的な気さくなアメリカ人で親切で良い思い出になった。
旅から帰った後、当分の間、鳴らしながら走っていた機関車の柔らかな汽笛の音が頭から離れず、アムトラックのことを懐かしく思い出させてくれた。
付録 鉄道の曲線(カーブ)について
幹線鉄道のカーブを表現する言葉に「10カーブ」とか「2カーブ」など、素人にはよく分からない数値が使われている。
幹線鉄道では「10カーブ」が極限のカーブである、などと言われても鉄道技術者ではない我々にはピンとこない。
そこで以下に、この言葉について解説を試みる。
まず始めに、鉄道の調査測量の方法について説明する。
鉄道を建設する手順の最初は、候補ルートを地図上で選定し大雑把に起終点間にルートを複数案選定する。
次にその候補ルートについて現地を詳細に調査してどのルートが最も現実的・経済的であるか確認し、土木技術的に建設可能と判断できればそのルートについて測量に入る。
現在ではGPSを用いて光波測量機でデジタル測量をするが、以前はテープ(巻き尺)とスタジア測量機によるアナログ測量であった。
この時に使用するテープは100フィート(30.48m)の長さで、これを地上に延ばして尺取り虫のように次々と先に測量を進めていくやり方を伝統的にとっていた。
カーブにさしかかると、100フィート毎にカーブの方向にテープを張る方向を曲げていき先に進んでいく。
この時、テープと直角方向(鉄道ルートと直角方向)の曲線の中心点には測量に行くことはしない。
曲線の管理は下図の通り、100フィートのテープ長「C」、および今回のテープ方向と次回のテープ方向のなす角度「d」をもって行う。
これを図で説明すると右図の通りである。
厳密に言うと100フィートのテープ長は直線で、曲線ルートの円弧とは長さが僅かに違うが、この違いは無視して円弧長さであるとして計算する。
この「円弧長」とその両端を挟む「角度」で曲線を管理・計算する方法を「弧度法」と言うが、鉄道ではこの計算方法(規格)を採っている。
円弧の長さは100フィートと固定し、カーブの中心でその両端を挟む角度が何度になるかをもって曲線規格としている。
アメリカでは最も急なカーブについては、高速鉄道では中心角度を1~2度以下、幹線鉄道では10度以下にすることが規格化されている。
冒頭に掲げた「10カーブ」と言うのはアメリカに於ける幹線鉄道での極限のカーブを表すものである。
ところで、この中心角度と半径の関係はどうかというと、次の計算で算出できる。
中心角d(°)とテープコードの長さc(ft)の関係は、半径をR(ft)とすると、
Rsin(d/2)=c/2
c=100ftであるから R=50/sin(d/2)
さて、「弧度法」では中心角のディメンションを「度」ではなく「ラジアン:rad」を採っている。
従って中心角をD(rad)で表すとR=50/sin(D/2)
D(rad)とd(°)との関係はD=(2π/360)dの関係から、
D=0.0175d となる。
また、Dが小さい時はsin(D/2)は概略D/2に等しいので、
R=50/(0.0175d/2)=5730/d が導き出される。
したがって
2°カーブの場合「2カーブ」は、R=5730/2=2865(ft)=940(m)、
10°カーブの場合「10カーブ」は、R=5730/10=573(ft)=175(m)
となる。
すなわち、「10カーブ」とは半径175メートル、直径350メートルのカーブのことである。